茶の湯では、奈良の村田珠光(むらたじゅこう)が質素な茶室で心の平静を求めるという茶と禅による精神の統一を主張した侘茶(わびちゃ)を始めました。この後、侘茶は堺の武野紹鴎(たけのじょうおう)が発展させ、千利休(せんのりきゅう)によって完成されることになります。
また、生花も座敷の床の間を飾る立花(りっか、または「たてはな」)形式が定着したことで、飾られた花そのものを鑑賞するかたちがつくられていきました。立花の名手としては小野妹子(おののいもこ)の末裔(まつえい)とされる池坊専慶(いけのぼうせんけい)が知られており、現代の華道の家元(いえもと)である池坊につながっています。
一方、この頃の公家の間では、政治や経済面での実権を失ったことで伝統的な文化の担(にな)い手として有職故実(ゆうそくこじつ、朝廷の儀式や先例など)の学問や古典の研究に力を入れるようになり、一条兼良(いちじょうかねよし、または「かねら」)らが「樵談治要(しょうだんちよう)」など多くの研究書や注釈書を残しました。
また、京都の吉田神社の吉田兼倶(よしだかねとも)は、仏が神の化身(けしん)としてこの世に現れたとする神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ、別名を反本地垂迹説=はんほんじすいじゃくせつ)を主張して、神道(しんとう)を中心に儒学や仏教を統合しようとする唯一神道(ゆいいつしんとう、別名を吉田神道=よしだしんとう)を始めました。
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