現在は慈照寺(じしょうじ)として知られる銀閣は、書院造(しょいんづくり)と禅宗様の仏殿(ぶつでん)から成り立っており、当時の文化を象徴する建築であることから、この時代の文化は「東山文化」と呼ばれています。
銀閣の下層や東求堂同仁斎(とうぐどうどうじんさい)に見られる書院造はそれまでの寝殿造を母体として、畳(たたみ)を敷(し)いた部屋の境(さかい)を襖障子(ふすましょうじ)で仕切り、床の間や違棚(ちがいだな)、あるいは付書院(つけしょいん)などを設けて、明障子(あかりしょうじ)を用いるなどの特徴があり、近代の和風住宅の原型となりました。
この頃には造園の方式も発達して、龍安寺(りょうあんじ)や大徳寺大仙院(だいとくじだいせんいん)などの庭園における、岩石や砂利(じゃり)を組み合わせて象徴的な自然をつくり出した「枯山水(かれさんすい)」が有名です。
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