鎌倉時代に栄西によって武家社会の上層に広まった臨済宗(りんざいしゅう)は、夢窓疎石(むそうそせき)が初代将軍の足利尊氏の厚い保護を受けたことによって大いに栄え、義満の時代までに南宋(なんそう)の官寺(かんじ)制度にならった「五山(ござん)・十刹(じっせつ)の制」が完成しました。
具体的には、まず南禅寺(なんぜんじ)を別格として五山の上に置き、その下に京都五山として天龍寺(てんりゅうじ)・相国寺(しょうこくじ)・建仁寺(けんにんじ)・東福寺(とうふくじ)・万寿寺(まんじゅじ)の五寺が、鎌倉五山として建長寺(けんちょうじ)・円覚寺(えんがくじ)・寿福寺(じゅふくじ)・浄智寺(じょうちじ)・浄妙寺(じょうみょうじ)の五寺がそれぞれ置かれており、この格式は現代においても続いています。
なお、十刹とは五山に続く官寺であり、さらにその下には諸山(しょざん)と呼ばれる寺格(じかく)がありました。室町幕府は僧録(そうろく)を置いてこれらの官寺を管理するとともに、住職の任免を行いました。
ちなみに、金閣は義満の死後に臨済宗の鹿苑寺(ろくおんじ)という寺院となり、大東亜戦争(=太平洋戦争)後の昭和25(1950)年に放火で焼失しましたがその後再建され、平成6(1994)年にはユネスコの世界文化遺産として登録されています。
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