南北朝時代の頃までには、和歌における「五・七・五・七・七」の韻律(いんりつ)を基盤として複数の作者が連作する形式でつくられた「連歌(れんが)」が、武家や公家を問わず広く親しまれるようになりました。
連歌は、南北朝時代の公卿で摂政や関白を歴任した二条良基(にじょうよしもと)がまとめた「莬玖波集(つくばしゅう)」が勅撰(ちょくせん、天皇や上皇の命令で歌集などを編集すること)に準ぜられたことで、和歌と対等の地位を築くことになりました。なお、二条良基は連歌の規則書として「応安新式(おうあんしんしき)」を制定しています。
また、鎌倉時代に僧の栄西(えいさい)が伝えたとされる喫茶(きっさ)の習慣が広まったことで、南北朝時代の頃には茶の味を飲み分けて勝敗を競う遊びである闘茶(とうちゃ)などの茶寄合(ちゃよりあい)が各地で行われるようになりましたが、これらの流行は南北朝時代の新興武士団たちの新しもの好きの精神に基づくものであり、彼らは派手や贅沢(ぜいたく)を意味する「バサラ」と呼ばれました。
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