やがて奥州の住人の中から蝦夷ヶ島(えぞがしま)と呼ばれた北海道の南部に進出し、渡島半島に館(やかた)をつくって移住する人々も現れました。彼らはアイヌから和人(わじん)と呼ばれ、津軽の豪族である安藤(あんどう)氏(別名を安東氏)の支配に属していましたが、和人の相次ぐ進出は、次第にアイヌとの関係悪化をもたらしました。
アイヌは長禄(ちょうろく)元(1457)年に首長(しゅちょう)のコシャマインを中心に蜂起(ほうき)して和人の館を次々と攻め落としましたが、やがて渡島の領主であった蠣崎(かきざき)氏によって鎮圧されました。この事件によって名を挙げた蠣崎氏は、江戸時代には松前(まつまえ)氏を名乗って蝦夷地を支配する大名となりました。
なお、この当時の和人の館は道南十二館(どうなんじゅうにたて)と呼ばれており、現在の函館市にある志苔館(しのりたて)が有名です。また、志苔館の付近からは当時の経済的繁栄を裏付ける大量の古銭が発見されています。
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