一方、南北朝の動乱の頃には、西国の武士や漁民らによって武装した船団が組まれ、朝鮮半島や中国大陸南部の沿岸を襲(おそ)うようになりました。これらの海賊(かいぞく)は「倭寇(わこう)」と呼ばれ、沿岸住民から恐れられました。
ところで、倭寇は襲来(しゅうらい)の時期によって大きく二つに分かれます。南北朝時代の頃を中心とする「前期倭寇」は対馬(つしま、現在の長崎県対馬市)や壱岐(いき、現在の長崎県壱岐市)、あるいは肥前(ひぜん、ここでは長崎県)の松浦(まつら)地方を拠点とし、日本人を中心に構成されていました。
これに対して、15世紀後半から16世紀にかけての「後期倭寇」は肥前の平戸(ひらど)や五島(ごとう)を拠点としているものの、その大部分は中国人であり、大陸沿海での密貿易を主に行っていました。なお後期倭寇は、我が国を統一しつつあった豊臣秀吉(とよとみひでよし)が天正(てんしょう)16(1588)年に海賊取締令を出して厳しく対処したことで鎮圧されています。
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