惣村では、結合の中心となった宮座(みやざ)と呼ばれる神社の氏子(うじこ)組織による村の神社の祭礼や農業における共同作業、あるいは戦乱に対する自衛などを通じて村民たちの結合への意識を高めていきました。このような惣村を構成する村民を「惣百姓(そうびゃくしょう)」といいます。
惣村は村民の代表者で構成される寄合(よりあい)の協議に基づいて、乙名(おとな、別名を長=おとな)、沙汰人(さたにん)、年寄(としより)などと呼ばれた村の指導者によって運営されました。また、村民は村の規則である惣掟(そうおきて、別名を村法=そんぽう、または村掟=むらおきて)を定めたり、村内の秩序を維持するために村民自身が警察権を行使する地下検断(じげけんだん、別名を自検断=じけんだん)を行ったりしました。
やがて惣村では薪炭(しんたん、たきぎやすみなどの燃料のこと)や肥料用の草木(そうもく)を育てるためなど、農業生産に必要な山や野原などの共同利用地である入会地(いりあいち)を確保したり、灌漑(かんがい)用水を管理したりするようになりました。
また、それまでは守護や地頭が請け負っていた年貢(ねんぐ)を惣全体でひとまとめにして請け負うという地下請(じげうけ、別名を村請=むらうけ、または百姓請=ひゃくしょううけ)も広がっていきました。
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