1.中国大陸や仏印(=フランス領インドシナ)からの全面撤兵
2.蒋介石の重慶国民政府以外の中国における政府の否認
3.日独伊三国同盟の破棄
もしこれらの条件を我が国が受けいれれば、満州を含む我が国がこれまでの外交努力によって正式に得た権益をすべて手放すのみならず、汪兆銘(おうちょうめい)による親日的な南京国民政府、さらには満州国すら否認することを意味していました。要するに、我が国に満州事変以前の状態に戻ることをアメリカは要求したのです。
ただ、ハル・ノートに記された内容は確かに厳しいものがありましたが、例えば満州は中国大陸に含まれないなど、我が国がハル・ノートの条件を検討する姿勢を見せながらも粘り腰で様々な工作を行い、戦争回避に向けてあらん限りの努力をすべきではなかったでしょうか。
現実において我が国はそうした外交努力をすることもなく、ハル・ノートの条件を認められないという結果となりましたが、それは同時に対米交渉の打ち切りを意味しており、もはやアメリカと戦争するしか道が残されていないということにつながりましたが、それこそがアメリカの思う壺(つぼ)でもありました。
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