ところで、これまでに述べた歴史の流れを振り返れば「アメリカが我が国を大東亜戦争に追い込んだ」という見方も成立しそうですが、これは「日本が一方的に侵略した」という「自虐(じぎゃく)史観」と表裏一体をなすものでしかありません。
我が国は最終的にアメリカと大東亜戦争を戦うことになりましたが、実はソ連と戦争する可能性もあったことをご存知でしょうか。その分水嶺(ぶんすいれい)となったのは「北進論」と「南進論」の選択であり、またその決め手となったのが「ソ連によるコミンテルンの謀略」でした。
当時の軍部や国民から多くの期待を背負って誕生した近衛内閣でしたが、国家総動員法など国家社会主義に基づく様々な施策(しさく)を行って国民への統制を強めた一方で、外交面においては南進論を押し進めて日米交渉を暗礁に乗り上げさせたのみならず、対米開戦を行うかどうかという重要な政治的判断を行うこともなく、最終的に「政権を投げ出す」という無責任な形で内閣総辞職となったのです。
第三次近衛内閣の後任には陸軍大臣だった東條英機が首相に選ばれました。この背景には、対米開戦の最強硬派であった陸軍を抑えるためにはそのトップたる東條こそがふさわしく、また東條自身が天皇のご意向を絶対視する人物であったことから、昭和天皇が願っておられた戦争回避に最も有効であろうという思惑があったとされています。
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