米内にかわって内閣を組織したのは、元枢密院(すうみついん)議長の近衛文麿(このえふみまろ)でした(第二次)。第二次近衛内閣は組閣直後に基本国策要綱を閣議決定し、欧米列強がアジアに持っていた植民地を開放して日本を盟主とする共存共栄の新たな国際秩序を建設しようという「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」の構想を発表しました。
そして昭和15(1940)年9月には、第二次近衛内閣の外務大臣であった松岡洋右(まつおかようすけ)や陸軍の熱心な推進もあって、昭和11(1936)年に締結した日独防共協定を発展するかたちでドイツやイタリアと「日独伊三国同盟」を結びました。
三国同盟においては、アジアおよびヨーロッパにおける三国の指導的地位の相互確認や、ヨーロッパの戦争や日華事変に参加していない国から攻撃を受けた場合の三国の政治・経済・軍事面における相互援助などが定められました。
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