全国の守護大名の中には、大内氏(おおうちし)や山名氏(やまなし)のように数ヵ国にまたがる領地を持つものもあり、特に山名氏は11ヵ国にまたがる広大な領地を治めたことで、全国66ヵ国のうちの六分一殿(ろくぶんのいちどの)と呼ばれるなどの権勢(けんせい)を誇(ほこ)り、強大な守護大名は幕府の言うことに従わないようになっていきました。
その一方で、地方に土着(どちゃく)した武士の中には、国人(こくじん)と呼ばれ、守護大名の支配を受けずに自立の道を歩みだす者もいました。特に守護の権限が弱い地域では、国人たちは自らの領主権を確保するために、地域的な集団としての一揆(いっき)を形成しました。これを国人一揆(こくじんいっき)といいます。
このようにして国人たちは、お互いに協力し合うことで自主的な地域権力をもつようになり、守護大名への抵抗や農民に対する統制を行うようになりました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
Masa このあたりはぼくの中で上位に入る時代なので楽しく見られてます。
ひとつ疑問なんですが、昨日も「その1」で今日も「その1」になっているのですが、何か深い意味が?それとも打ちミスでしょうか?
.
オバrev それにしても、お金と力と行政に加えて世襲とは、守護の権力は圧倒的ですね。
あと司法権については、この当時の守護は持っていたのでしょうか。
そこまでいけば、完全に独立した支配者ですけど・・・
Masaさんへ
黒田裕樹 > このあたりはぼくの中で上位に入る時代なので楽しく見られてます。
それは良かったです(^^♪
自分の興味のある時代を徹底的に押さえれば、後の展開が楽になりますよ。
> ひとつ疑問なんですが、昨日も「その1」で今日も「その1」になっているのですが、何か深い意味が?それとも打ちミスでしょうか?
…(^^ゞ
失礼しましたm(_ _)m
単なるミスです。お恥ずかしい限りで(;^ω^)
ご指摘有難うございました。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > それにしても、お金と力と行政に加えて世襲とは、守護の権力は圧倒的ですね。
まさしくそのとおりですね。
だからこそ幕府の言うことを聞かなくなってしまうのです。
権力の与え方には要注意ですね。
> あと司法権については、この当時の守護は持っていたのでしょうか。
> そこまでいけば、完全に独立した支配者ですけど・・・
昨日(25日)に書いたとおり、守護には幕府による裁判の判決を強制的に執行する使節遵行(しせつじゅんぎょう)の権利が与えられていましたが、このことによって守護が領国内の争いごとに積極的に介入することになり、やがては司法権を有するのと同様の権力を持つようになります。
ただ、その時代は長くは続かす、やがては戦国大名に取って代わられてしまうのが、残酷な歴史の流れですね。
黒田先生.
りら 世襲化と聞くと
今の政治を思い浮かべてしまいますね
国人一揆の言葉初めて知りました
いつも有難う御座います
楽しく 勉強させて頂いています
りらさんへ
黒田裕樹 > 世襲化と聞くと
> 今の政治を思い浮かべてしまいますね
確かにそうですね。もっとも、この場合の世襲は、一部を除いて没落していきますが…。
現代の世襲はどうなっていくのでしょうか。
> 国人一揆の言葉初めて知りました
> いつも有難う御座います
> 楽しく 勉強させて頂いています
お言葉有難うございます。国人というのは歴史用語ですから、普段は聞き慣れないですからね。これからもできるだけ分かりやすく紹介できればと思います。
.
ぴーち こんばんは!
この時代の民衆は、一揆と称して
随分果敢に悪政に立ち向かって行ったんですね~。
今の時代、政治に対して個人個人は
意見を述べているけれど、こうして
民衆が大勢で運動を起こしたり、政府に立ち向かって、力ずくでも屈服させようと言う動きは少ないですよね?
法律が複雑化しているからなんでしょうか?専門家のご意見をお伺いしたいです^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この時代の民衆は、一揆と称して
> 随分果敢に悪政に立ち向かって行ったんですね~。
> 今の時代、政治に対して個人個人は
> 意見を述べているけれど、こうして
> 民衆が大勢で運動を起こしたり、政府に立ち向かって、力ずくでも屈服させようと言う動きは少ないですよね?
> 法律が複雑化しているからなんでしょうか?専門家のご意見をお伺いしたいです^^
私の見解は法律論というよりも、もっと単純なことかもしれませんが(笑)、考えられる答えはただひとつ。
「食べていけるか」。
これだけだと思います。
人間、食べていくことができれば、ちょっとやそっとのことでは暴動を起こそうとは思いません。
当時の農民が立ち上がったのも、また江戸時代に飢饉が頻発した時期も、年貢が高すぎて払えない場合や、飢饉でコメそのものがなく、奪われれば生命に関わるからこそ立ち上がったのです。
ひるがえって現在では、国全体が豊かになり、本当に貧しい人には生活保護も受けられますから、食べられない、ということはまず考えられません。だから暴動が起きないのです。
とはいえ、あまりにも悪政が続くのであれば、国民はもっと怒っていいと思うんですけどね。
.
アクア 国人いっきって
国一揆ですか?
アクアさんへ
黒田裕樹 > 国人いっきって
> 国一揆ですか?
良いご質問ですね(^^♪
「国人一揆」と「国一揆」は似て非なるものです。
国人一揆は本文にもあるように、地方の豪族である国人達が同盟を結んで、組織的に守護の支配に対抗することです。
一方、国一揆は国人や地元の農民などが集まって、守護を倒して領国の支配権を確立しようとすることです。代表的な国一揆には1485年の山城の国一揆がありますね。いずれ改めて紹介します。
ひとつ疑問なんですが、昨日も「その1」で今日も「その1」になっているのですが、何か深い意味が?それとも打ちミスでしょうか?
あと司法権については、この当時の守護は持っていたのでしょうか。
そこまでいけば、完全に独立した支配者ですけど・・・
それは良かったです(^^♪
自分の興味のある時代を徹底的に押さえれば、後の展開が楽になりますよ。
> ひとつ疑問なんですが、昨日も「その1」で今日も「その1」になっているのですが、何か深い意味が?それとも打ちミスでしょうか?
…(^^ゞ
失礼しましたm(_ _)m
単なるミスです。お恥ずかしい限りで(;^ω^)
ご指摘有難うございました。
まさしくそのとおりですね。
だからこそ幕府の言うことを聞かなくなってしまうのです。
権力の与え方には要注意ですね。
> あと司法権については、この当時の守護は持っていたのでしょうか。
> そこまでいけば、完全に独立した支配者ですけど・・・
昨日(25日)に書いたとおり、守護には幕府による裁判の判決を強制的に執行する使節遵行(しせつじゅんぎょう)の権利が与えられていましたが、このことによって守護が領国内の争いごとに積極的に介入することになり、やがては司法権を有するのと同様の権力を持つようになります。
ただ、その時代は長くは続かす、やがては戦国大名に取って代わられてしまうのが、残酷な歴史の流れですね。
今の政治を思い浮かべてしまいますね
国人一揆の言葉初めて知りました
いつも有難う御座います
楽しく 勉強させて頂いています
> 今の政治を思い浮かべてしまいますね
確かにそうですね。もっとも、この場合の世襲は、一部を除いて没落していきますが…。
現代の世襲はどうなっていくのでしょうか。
> 国人一揆の言葉初めて知りました
> いつも有難う御座います
> 楽しく 勉強させて頂いています
お言葉有難うございます。国人というのは歴史用語ですから、普段は聞き慣れないですからね。これからもできるだけ分かりやすく紹介できればと思います。
この時代の民衆は、一揆と称して
随分果敢に悪政に立ち向かって行ったんですね~。
今の時代、政治に対して個人個人は
意見を述べているけれど、こうして
民衆が大勢で運動を起こしたり、政府に立ち向かって、力ずくでも屈服させようと言う動きは少ないですよね?
法律が複雑化しているからなんでしょうか?専門家のご意見をお伺いしたいです^^
応援凸
> 随分果敢に悪政に立ち向かって行ったんですね~。
> 今の時代、政治に対して個人個人は
> 意見を述べているけれど、こうして
> 民衆が大勢で運動を起こしたり、政府に立ち向かって、力ずくでも屈服させようと言う動きは少ないですよね?
> 法律が複雑化しているからなんでしょうか?専門家のご意見をお伺いしたいです^^
私の見解は法律論というよりも、もっと単純なことかもしれませんが(笑)、考えられる答えはただひとつ。
「食べていけるか」。
これだけだと思います。
人間、食べていくことができれば、ちょっとやそっとのことでは暴動を起こそうとは思いません。
当時の農民が立ち上がったのも、また江戸時代に飢饉が頻発した時期も、年貢が高すぎて払えない場合や、飢饉でコメそのものがなく、奪われれば生命に関わるからこそ立ち上がったのです。
ひるがえって現在では、国全体が豊かになり、本当に貧しい人には生活保護も受けられますから、食べられない、ということはまず考えられません。だから暴動が起きないのです。
とはいえ、あまりにも悪政が続くのであれば、国民はもっと怒っていいと思うんですけどね。
国一揆ですか?
> 国一揆ですか?
良いご質問ですね(^^♪
「国人一揆」と「国一揆」は似て非なるものです。
国人一揆は本文にもあるように、地方の豪族である国人達が同盟を結んで、組織的に守護の支配に対抗することです。
一方、国一揆は国人や地元の農民などが集まって、守護を倒して領国の支配権を確立しようとすることです。代表的な国一揆には1485年の山城の国一揆がありますね。いずれ改めて紹介します。