実際にドイツがポーランドに侵攻したことで自国の安全保障に重大な懸念が生じたわけですから、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告をしたというのも決して無理はありません。
しかし、ドイツとソ連とがいずれは衝突するという読みがもし英仏両国にあったとすれば、ポーランドを見殺しにしてでも宣戦布告を先延ばしにし、ポーランド占領後に独ソ両国をお互いに戦わせるように仕向ける工作も可能だったのではないでしょうか。
つまり、宥和政策そのものが間違いだったのではなく、宥和政策を貫けずに中途半端なかたちで転換したことが、戦略的に失敗だったのではないかとも考えられるのです。
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