幕府は地方武士を動員するために、守護に従来の大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)に加えて、自己の所有権を主張して勝手に田地(でんち)の稲を刈り取るといった乱暴(らんぼう)な行為である刈田狼藉(かりたろうぜき)を取り締まる権限や、幕府による裁判の判決を強制的に執行する使節遵行(しせつじゅんぎょう)の権限を与えました。
また、軍費を調達するために、一国内の荘園や公領の年貢の半分を守護が兵糧(ひょうろう)として徴発(ちょうはつ、強制的に取り立てること)するという半済令(はんぜいれい)が守護に認められました。半済令は、当初は動乱の激しかった地域に一年限りで認められていたのですが、次第に全国に拡大するとともに、やがては永続的に行われるようになり、ついには年貢のみならず土地の分割まで認められるようになりました。
守護による土地の侵略に悩まされた荘園領主や国司(こくし)は、年貢の徴収を守護に請け負わせる守護請(しゅごうけ)によって管理を任せることで、自らの収入を確保しようとしましたが、このことが守護の実質的な荘園や国衙領(こくがりょう、国の領地のこと)の支配へとつながり、守護の権限はますます高まっていったのでした。




いつも有難うございます。
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りら 今回の記事読ませて頂き
考えましたが
これで1番困ったのは農民ですよね
年貢でさぞかし大変だった事でしょう
りらさんへ
黒田裕樹 > 今回の記事読ませて頂き
> 考えましたが
> これで1番困ったのは農民ですよね
> 年貢でさぞかし大変だった事でしょう
仰るとおりです。
でも農民にしても、いつまでも泣き寝入りするわけにはいきません。
それがまた乱世の原因になってしまうんですよね。
.
HANA子 軍事・警察権を持ち、行政権を手にし、さらに徴税権までを有することは、もはや一つの独立国ですものね
守護が力を持ち始めた時、すでに戦国時代の萌芽はあったんでしょうね
そうすると、鎌倉幕府・足利幕府が出来ず、江戸幕府のみが平定後の平和を成し遂げることが出来たというこの差というものがどこにあったのかっていう疑問が持ち上がりますね
学問は「資料」を基に「比較」して「研究」することですから、
以前の講座を読み直すのも含めて、またわたしなりに勉強しなおしてみたいと思います^^
HANA子さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、室町幕府が守護に様々な権限を与えたことで、守護大名は独立国と同じ扱いとなったがゆえに幕府の言うことを聞かなくなり、戦国時代への原因の一つになってしまいました。
江戸時代の平和は、こうした室町幕府の「失敗」をもとにして構築されています。このあたりについては8月の東京講座で詳しく紹介します。
資料の比較研究は歴史の大きな流れに基づいて進めれば、様々な時代の概要が手に取るように理解できて面白いですよ。
考えましたが
これで1番困ったのは農民ですよね
年貢でさぞかし大変だった事でしょう
> 考えましたが
> これで1番困ったのは農民ですよね
> 年貢でさぞかし大変だった事でしょう
仰るとおりです。
でも農民にしても、いつまでも泣き寝入りするわけにはいきません。
それがまた乱世の原因になってしまうんですよね。
守護が力を持ち始めた時、すでに戦国時代の萌芽はあったんでしょうね
そうすると、鎌倉幕府・足利幕府が出来ず、江戸幕府のみが平定後の平和を成し遂げることが出来たというこの差というものがどこにあったのかっていう疑問が持ち上がりますね
学問は「資料」を基に「比較」して「研究」することですから、
以前の講座を読み直すのも含めて、またわたしなりに勉強しなおしてみたいと思います^^
江戸時代の平和は、こうした室町幕府の「失敗」をもとにして構築されています。このあたりについては8月の東京講座で詳しく紹介します。
資料の比較研究は歴史の大きな流れに基づいて進めれば、様々な時代の概要が手に取るように理解できて面白いですよ。