ドイツがポーランドへ侵攻してその西半分を占領した直後の9月17日、今度はソ連がポーランドへ侵攻して、東半分を占領しました。勢いに乗るソ連は続いてフィンランドへ侵攻したほか、翌1940(昭和15)年には、エストニア・ラトビア・リトアニアのいわゆるバルト三国をも併合しましたが、これらの動きに対して、イギリスやフランスはソ連を国際連盟から除名したのみで、ソ連の行為を事実上黙認しました。
ドイツとソ連がまるで連携(れんけい)したかのような動きには、大きな理由がありました。実は、先に結んだ独ソ不可侵条約において、ポーランドをドイツとソ連とで分割することや、バルト三国をソ連が占領するのをドイツが黙認することなどが密約されていたのです。
その後もドイツは電光石火の早業で激しい攻勢を続け、1940(昭和15)年5月には西部戦線の攻撃に移り、デンマークやノルウェー、さらにはオランダやベルギーをも攻略したほか、イギリス軍をフランス北端のダンケルク港に追い落とすことに成功しました。
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