また、京都内外の治安維持などにあたる侍所(さむらいどころ)の長官である所司(しょし)には、有力な守護大名である赤松(あかまつ)、一色(いっしき)、山名、京極(きょうごく)の各氏から交代で任じられました。なお、管領と侍所の所司は、それぞれ「三管領(さんかんれい)」並びに「四職(ししき)」と呼ばれています。
三管領や四職のような有力な守護大名は、それぞれの統治国には戻らず京都で政治を行うのが慣例であり、また一般の守護も自身は在京して幕府に出仕するのが原則でしたから、領国の統治は守護代(しゅごだい)に任せるのが一般的でした。
後に世の中が乱れると、守護大名が京都を離れられないうちに守護代が領国の実権を握ったことで、ついには戦国大名へと変化する者も現れました。例えば、三好(みよし)氏は細川氏を、朝倉(あさくら)氏は斯波氏を、尼子(あまご)氏は京極氏をそれぞれ倒しています。
なお、幕府の法令としては、成立時に幕府の政治に対する方針を示した建武式目とは別に、鎌倉時代に定められた御成敗(ごせいばい)式目がそのまま用いられ、必要に応じて新しい法令が追加されていきました。これを「建武以来追加」といいます。
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