「優しい人」「気前の良い人」といえば人間が本来持つべき性格であるとされ、私たち一般人の間では好かれる傾向にありますが、政治の世界においてはマイナスでしかありません。なぜなら、尊氏の「優しさ」は政敵を抹殺することをためらわすことで「優柔不断」となり、結果として幕府の将来に暗雲をもたらしてしまったからです。
尊氏が亡くなった南朝の正平13年/北朝の延文3(1358)年において、幕府の勢力が及んだ地域は鎌倉と京都が目立つのみであり、中国地方は足利直冬が、九州は後醍醐天皇の子である懐良(かねよし、または「かねなが」)親王が実質的な支配を固めていました。
しかも、三種の神器を所有している南朝こそが正当であるとみなされたことで、尊氏の征夷大将軍を保証する北朝の権威が低くなり、それと連動して足利将軍の地位も低く見られる傾向にありました。
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