史実においては、昭和14(1939)年9月15日に我が国はソ連軍と停戦協定を結んでいますが、実はその2日後の17日に、ソ連軍はポーランドに侵攻しているのです。つまり、我が国との停戦によって、ソ連は満州に張り付いていた師団を大急ぎでヨーロッパ戦線に向けたわけです。
ということは、もし我が国が停戦に応じていなかったら、ソ連はポーランドに攻め込むことはできなかったでしょう。ポーランドにはソ連よりも先にドイツが同年9月1日に侵攻して、第二次世界大戦が事実上勃発(ぼっぱつ)していますが、ソ連が攻め込まなければドイツが単独でポーランドを占領したかもしれません。
戦争というものは長期戦となることもあれば、緒戦の勢いですべてが決することもあります。もしドイツがポーランドを単独で占領すれば、その後の情勢が激変してドイツは戦争に負けなかったかもしれませんし、大東亜戦争(=太平洋戦争)の勝敗やその有無など、我が国のその後の運命もどうなったか全く分かりません。
しかも、ソ連はノモンハン事件の被害の大きさに狼狽(ろうばい、慌てふためくこと)するあまり、停戦協定が実際に結ばれる前に何とドイツに仲介を依頼していたのです。
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