関東軍は外蒙古軍を撃退(げきたい)して一度は引き上げましたが、それを確認したソ連軍が機械化部隊を投入して出撃したため、関東軍とソ連軍との間で激しい戦闘が繰り広げられました。
この戦いで日本側は一個師団を失いましたが、ソ連軍の機械化部隊に壊滅的な打撃を与えることに成功したほか、全体的な兵力の被害もソ連軍が日本軍の倍近くありましたが、これらが明らかになったのは旧ソ連崩壊後のことでした。
では当時の戦況を我が国はどう見ていたのでしょうか。実は「日本の一方的な惨敗」と判断していたのです。
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