しかし、日本軍が停戦協定に応じて張鼓峰から撤退したのに対して、ソ連軍は協定を無視して張鼓峰を占領して陣地を構築し、これを強引に国境線としました。要するに、ソ連は我が国の善意を裏切ったのです。
こうしたソ連の強気の姿勢の背景には、我が国が日華事変の泥沼化の影響で満ソ・満蒙国境に大量の兵力を投入できないという事情がありました。このような歴史的な流れにも、当時の日本政府に潜んでいたコミンテルンによるスパイの暗躍ぶりがうかがえますね。
なお、張鼓峰事件において日本軍が自軍の4倍もの兵力を誇ったソ連軍を撃退したことや、事件の人的被害はソ連側の方がはるかに大きかったことなどが、旧ソ連の崩壊後に明らかとなっています。
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