その理由として「企画院の設立や国家総動員法の制定が主な原因だ」とも考えられそうですが、これらはどちらかと言えば「手段」であり、むしろこれらの政策が行われた「目的」を探る必要があるでしょう。
当時の我が国は、日華事変(=日中戦争)が泥沼化するなど軍事的な疲弊(ひへい)が続いていましたが、近衛文麿を中心とする当時の内閣は、これを止めるどころか「国民政府を対手(あいて)とせず」と言い放った第一次近衛声明のように、むしろ戦線を拡大しようとしました。
このような「政治的判断」に、当時の我が国が悩まされた数々の困難を読み解くヒントがあるのではないかと私は考えております。
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