こうして誕生した汪兆銘による南京国民政府でしたが、当時勃発(ぼっぱつ)していた第二次世界大戦におけるアメリカなどの連合国が汪兆銘政権を認めなかったこともあり、日華事変を終結させることはできませんでした。
ところで、汪兆銘政権の誕生は日本政府における対中和平実現に向けた流れがもたらしたものと一般的に解釈されているようですが、蒋介石政権(=国民政府)がアメリカなどの手厚い支援を受けて健在だったことを考えれば、中国側の窓口をわざわざもう一つ作ったことによって、本当の意味での和平工作をより困難にしてしまったという見方も成立します。
第一次近衛文麿内閣やその後の政府が汪兆銘政権誕生に執念を燃やした「本当の目的」は果たしてどこにあったのでしょうか。はっきりと言えることは、日華事変の泥沼化が中国大陸における果てしない戦闘状態を引き起こして日本軍と国民政府軍とを著しく疲弊(ひへい)させ、第二次世界大戦後に中国共産党が主体となった中華人民共和国が成立したという歴史上の事実が厳然と存在しているということです。
さらに付け加えれば、日華事変の泥沼化は必然的に国民に対する協力体制を形成するようになり、我が国が次第に「社会主義化」するという流れを生み出すことになったという事実を私たちは見過ごすわけにはいきません。
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