声明において、我が国は中国との戦闘状態の目的を「日・満・華3国の連帯をめざし、東亜の安定を確保すべき新秩序を建設する」ことにあるとして、国民政府が容共抗日策(ようきょうこうにちさく、中国共産党と連携して我が国に対抗する政策のこと)を捨てて、新秩序の建設に協力することを呼びかけました。
一方、蒋介石に代わる新たな政府との和平交渉を願っていた我が国は、国民党の副総裁であった汪兆銘(おうちょうめい)と密かに交渉し、昭和13(1938)年12月に汪兆銘が重慶を脱出すると、第一次近衛内閣は第三次近衛声明に当たる「近衛三原則」を発表しました。
近衛三原則において我が国は東亜新秩序建設のために「善隣友好・共同防共・経済提携」を呼びかけており、日中和平への道が開かれたと判断した汪兆銘は国民政府に対して和平を呼びかけましたが、蒋介石側は汪を国民党から除名してこれを拒絶しました。
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