さて、日本軍による南京攻略と前後して、北京を中心に中華民国臨時政府が成立するなど、中国大陸の情勢は次第に我が国に有利に展開するようになりましたが、これを受けて我が国は、南京陥落(かんらく)後の昭和12(1937)年12月に、ディルクセン駐日ドイツ大使を通じて、新たな和平条件をトラウトマン駐華大使に示しました。これを「第二次トラウトマン和平工作」といいます。
我が国が示した新たな和平条件は、南京攻略の際に日本軍に多数の死傷者が出たこともあり、損害賠償の請求などの厳しい条件が追加されていましたが、そもそも第一次和平工作が成立していれば、南京戦そのものが存在しなかったのですから、ある意味当然の帰結といえました。
我が国は年末までの回答を蒋介石(しょうかいせき)に迫り、トラウトマンもそのように伝達しましたが、年が明けても国民政府側からの正式な回答はなく、再度強く迫っても言(げん)を左右にするばかりでした。蒋介石の態度に業(ごう)を煮やした我が国は、国民政府との交渉を打ち切る決断を最終的に下したのですが、その一方で、交渉決裂に最後まで反対した勢力も存在しました。それはどこだと思いますか。
実は陸軍なのです。
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