しかし、経費の増大を理由に東京府議会が明治16(1883)年に養育院の廃止を決議すると、栄一は当時建てられたばかりの西洋式の建物である鹿鳴館(ろくめいかん)でバザーを行って資金を集めるなどして、養育院の事業に終生携わりました。
また、栄一は国際交流にも力を入れました。移民問題などによって我が国とアメリカとの関係が悪化すると、栄一は昭和2(1927)年に日本国際児童親善会を設立したほか、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリックと協力して日本の「市松(いちまつ)人形」とアメリカの「青い目の人形」を交換し、親善交流を深めることに尽力しました。
こうした数々の業績によって、栄一は大正15(1926)年と昭和2(1927)年のノーベル平和賞の候補にもなりましたが、昭和6(1931)年11月11日に92歳(満91歳)の長寿を全うしてこの世を去りました。
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