また、郵便制度の成立や廃藩置県の実施にも深く関わるなど、明治初期の政策の実現に大きく貢献した栄一でしたが、政府の首脳であった薩摩藩出身の大久保利通(おおくぼとしみち)と対立したり、栄一が旧幕臣の出身ということで、いわゆる「藩閥(はんばつ)」出身者が多かった政府の役人との軋轢(あつれき)が生じたりしました。
やがて父の死や上司である長州藩出身の井上馨(いのうえかおる)の辞職を契機に、明治6(1873)年に栄一は約3年半務め上げた大蔵省を辞して、34歳で実業界へと乗り出していくことになります。
なお、栄一が大蔵省の時代に群馬県の富岡製糸場(とみおかせいしじょう)が操業を開始しましたが、その初代場長としてかつて戊辰戦争を旧幕府側で戦った従兄の尾高惇忠を迎えたほか、同じく戊辰戦争に最後まで従軍して投獄されていた従兄の渋沢喜作を出獄させて大蔵省に出仕させるとともに、近代的な養蚕製糸事業の調査のためヨーロッパに渡航させています。
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