人間の一生は、時として不思議な運命をたどることがありますが、栄一が大実業家となって歴史にその名を残し、90歳を超えるまでの長寿を保ったのも、若き日の彼を支えながら不本意な形で人生を終わらせざるを得なかった人々の精神や魂(たましい)が、彼に王道を歩み続けさせたからかもしれません。
さて、栄一はヨーロッパでの経験を活かして、我が国で初めての銀行兼商社となる「商法会所」を藩内に設立し、藩の財政を豊かにするとともに、資本主義を我が国に定着させようとしました。なお、商法会所は後に「常平倉(じょうへいそう)」と改組されています。
ところが明治2(1869)年、そんな栄一に明治新政府からの招状が届き、栄一が東京に出向くと民部省租税正(みんぶしょうそぜいのしょう、民部省は後に大蔵省=現在の財務省に統合)への出仕話が持ち掛けられました。断ろうと思った栄一でしたが、肥前(ひぜん)藩出身の大隈重信(おおくましげのぶ)の説得を受けいれ、明治における新たな国づくりに栄一の手腕が発揮されることになりました。
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