しかし「グーヴェルマン」の本当の意味は「政府」であり、後にフランスの新聞によって「日本は一つの国家ではなく連合国であり、将軍と薩摩とは同格である」と書かれてしまったのです。
まさに薩摩藩に「してやられた」形となりましたが、そんな薩摩藩においてフランスと事前に綿密に交渉し、薩摩が優位に立つように導いたのが、薩摩藩士の五代友厚(ごだいともあつ)だったそうです。
こうしてヨーロッパで様々な経験を積んだ栄一ですが、この渡航は翌1868年に突然打ち切りとなってしまいました。我が国の政治体制が大きく変動したからです。
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