だからこそ、朝廷から預かった「大政(=国政)」を「還(かえ)し奉(たてまつ)る」、すなわち「大政奉還」という概念が成立するとともに、幕府が存在しなくなったことで、薩長らの討幕の密勅がその根拠を失うという流れをも成立させてしまいました。
さらには徳川家がほぼ無傷で生き残ったことで、来るべき新政権の中心的存在として、そのまま政治の実権を握り続けるという可能性をも秘めるようになったのです。
しかし、そんなことを許しては苦労して討幕運動を続けてきた意味がないと憤(いきどお)った薩長両藩や公家の岩倉具視らの討幕派は、慶応3年旧暦12月9日(1868年1月3日)に武力を背景に朝廷内で政変を実行しました。これを「王政復古の大号令」といいます。
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