我が国における「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」も、本来は東北地方の蝦夷(えみし)を討伐するために設けられた臨時の役職でしたが、チャイナの将軍と同じような権限が与えられたことで、いつしか「朝廷から独立した軍事政権を握るための地位」と拡大解釈され、建久(けんきゅう)3(1192)年に源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍に任じられたことで、軍事政権たる鎌倉幕府が朝廷から公認されるという扱いとなったのです。
朝廷から征夷大将軍に任じられたことで、頼朝は政治の実権を朝廷から、すなわち「天皇に委任される」ことになりました。もちろん、この流れは室町幕府も江戸幕府も同じです。
要するに、江戸幕府は「天皇のお墨付き」をもらっていたも同然であり、いかに武力で勝ろうとも、そんな幕府をいきなり討つことは天皇に弓を向けるも同然の行為であり、絶対にできなかったのです。
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