なぜ慶喜は大政奉還を行ったのでしょうか。栄一らが外国に行っている間に我が国の歴史が大きく変化したことになりますが、ここでその流れを振り返ってみましょう。
徳川慶喜はフランス公使ロッシュの援助を受けて軍制改革を行うなど幕政の立て直しに努めていましたが、開国後の混乱もあって当時の幕府の権威は著しく下がっており、社会不安も増大していました。
そんな中、慶応2(1866)年旧暦1月に同盟を結んだ薩摩・長州(ちょうしゅう)の両藩は、公家の岩倉具視(いわくらともみ)らと結んで武力による討幕を目指していましたが、実は、薩長側がどれだけ優位に展開していようが「いきなり幕府を倒す」ことは不可能でした。
なぜなら、幕府が成立した背景には「天皇陛下のご存在」が深くかかわっているからです。
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