ところが、慶応(けいおう)2(1866)年に14代将軍の徳川家茂(とくがわいえもち)が21歳の若さで急死してしまい、その後継として慶喜が15代将軍に推挙されました。慶喜が将軍になったことで栄一の身分は「幕臣」となりましたが、栄一自身の心は暗く沈んでいました。
栄一は、慶喜のような英邁(えいまい)な人間は側面から幕府を支えるべきで、将軍になるべきではないと考えていたのです。また慶喜が「上様」になってしまえば、自分のような身分の人間は二度とお目にかかれないかもしれないという思いが、栄一に辞職まで考えさせるようになっていました。
しかし、ここで突然彼の前に大きな転機が巡ってきました。フランスへの渡航の話が彼にもたらされたのです。
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