栄一は尊王攘夷にこだわる喜作を説得して、円四郎の申し出を受けました。尊王攘夷のためには倒幕を目指していたはずの栄一らが、将軍の血筋にあたる一橋家に仕官するというのはまさに逆転の発想ですが、ここでも栄一は大局的な判断を下し、その後の人生が大きく開ける流れを生み出したのです。
士分となった栄一は、新たに「篤太夫(とくだゆう)」と改名したほか、円四郎の配慮によって、仕官する際に主君となる一橋慶喜(よしのぶ)に拝謁(はいえつ)しました。
一橋慶喜は後の15代将軍・徳川慶喜であり、水戸藩から一橋家に養子として迎えられ、当時は京都で御所を警備する禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)に任じられていました。そんな慶喜に対して、拝謁した栄一は「幕府の命運もすでに絶えている」など、時勢に関する自分の思いを正直に申し出ました。
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