そして、翌安政7年旧暦3月3日(西暦1860年3月24日)、春にしては珍しい大雪の日の朝に、江戸城近くの桜田門へと差し掛かった直弼の行列に対して、水戸藩を脱藩した大勢の浪士らが襲いかかり、直弼を暗殺しました。
この「桜田門外の変」によって、最高権力者である大老が江戸城外で襲われ、しかも殺されるという大失態を演じてしまった幕府の威信がますます低下するとともに、自分の意見と対立する人間への「血の粛清(しゅくせい)」が半ば常識化してしまいました。
かくして、1860年代前半には日本全国において「尊王攘夷運動」が盛んとなり、その流れが栄一の周囲にまで及ぶようになるのです。
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