高氏は他の反幕府勢力を率いて入洛(にゅうらく、京へ入ること)を果たすと、1333年5月7日に六波羅探題(ろくはらたんだい)を滅ぼしました。同じ頃、高氏と同じ源義家の血を引く新田義貞(にったよしさだ)も上野国(こうずけのくに、現在の群馬県)で反幕府の兵を挙げ、鎌倉へ向かいました。
義貞は鎌倉を脱出した高氏の子の千寿王(せんじゅおう、後の足利義詮=あしかがよしあきら)と合流して、共同で鎌倉を攻めました。5月18日には北条氏最後の執権である第16代の北条守時(ほうじょうもりとき)を滅ぼし、22日には得宗の北条高時や内管領の長崎高資らを自害に追い込んで、源頼朝以来約140年続いた鎌倉幕府はついに滅亡しました。
なお、足利高氏も新田義貞も本姓(ほんせい)は源氏ですが、それぞれの本拠地である足利や新田を苗字(みょうじ)として名乗っています。これは北条氏も同様であり(本姓は平氏)、本姓は「○○の」と「の」が付くのに対して、苗字は「○○」と「の」が付かないことで区別できます。




いつも有難うございます。
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佐佐木あつし 先生、こんにちは
千早城いいですねー
あの辺から鎌倉滅亡までをじっくり講義していただきたいですニャー
佐佐木あつしさんへ
黒田裕樹 > 先生、こんにちは
こんにちは(^o^)丿
お忙しい中、ブログの更新お疲れ様です。
> 千早城いいですねー
> あの辺から鎌倉滅亡までをじっくり講義していただきたいですニャー
楠木正成はこの時代の英雄ですからね(^^♪
講談師としては腕の見せ所ですが(笑)、いずれ別の機会にでも取り上げてみたいものです。
こんばんは
スカイラインV35 北条氏の執権は16代で潰えたんですね。初めて知りました。
足利幕府の将軍は尊氏から義昭まで15代、徳川幕府の将軍も家康から慶喜まで15代。そして、自民党が単独過半数で自民党総裁が首相であり続けたのも、初代総裁の鳩山一郎から15代総裁の宮澤喜一まで(その後は連立)。
偶然の一致としか説明のしようがありませんが、こんな偶然もあるんですね。
.黒田先生
りら 「の」一つで大変な違いですね
毎日思いますが
先生の根気のよい ご研究です
これだけの事 書かれるための準備
アップご努力 感服するのみです
.
ぴーち こんばんは!
足利高氏は、私の住んでいる県にも縁の深い人物ですが、生誕の地という説があるのですが、他にも同じように高氏の生誕の地はここだと名乗りを挙げている場所もありますよね。
どうして、色々な場所に分散されてしまっているんでしょうか。
はるか昔の縄文や、弥生の時代ならまだしも、室町時代くらいになると
文献なども揃っている様に思うのですが。。
応援凸
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 北条氏の執権は16代で潰えたんですね。初めて知りました。
> 足利幕府の将軍は尊氏から義昭まで15代、徳川幕府の将軍も家康から慶喜まで15代。そして、自民党が単独過半数で自民党総裁が首相であり続けたのも、初代総裁の鳩山一郎から15代総裁の宮澤喜一まで(その後は連立)。
> 偶然の一致としか説明のしようがありませんが、こんな偶然もあるんですね。
お言葉をいただくまで私も気がつきませんでした。
15代前後がひとつの節目なのでしょうか。
そう思えば125代も続く皇室の血統は物凄く貴重ですね。
りらさんへ
黒田裕樹 > 「の」一つで大変な違いですね
仰るとおりです。昔は「姓」と「苗字」がはっきりと区別されていたんですね。
ちなみに豊臣秀吉の「豊臣」も天皇から与えられた「姓」なので、正しくは「とよとみのひでよし」と呼ぶべきなんです。もはや「とよとみひでよし」が一般化してしまっているのでどうしようもないのかもしれませんが…。
> 毎日思いますが
> 先生の根気のよい ご研究です
> これだけの事 書かれるための準備
> アップご努力 感服するのみです
お言葉有難うございます。
確かに根気が必要ではありますが、一番の支えは、皆様の温かいご支援です。
今後ともよろしくお願いいたします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 足利高氏は、私の住んでいる県にも縁の深い人物ですが、生誕の地という説があるのですが、他にも同じように高氏の生誕の地はここだと名乗りを挙げている場所もありますよね。
> どうして、色々な場所に分散されてしまっているんでしょうか。
> はるか昔の縄文や、弥生の時代ならまだしも、室町時代くらいになると
> 文献なども揃っている様に思うのですが。。
文献は確かにあるのですが、いわゆる「後付け」で書かれるなど信憑性(しんぴょうせい)が疑わしいものも多いですからね。
歴史の真実を見極める作業もなかなか大変です。
.
HANA子 鎌倉幕府滅亡、そして始まる後醍醐帝親政
やがてくる南北朝時代の動乱が待ち遠しい・・・・・・と言ったら不謹慎でしょうか?
しばらくぶりです。ご無沙汰しておりました~
太平記は何度も読み返したバイブルなんです
個人的には南北朝争乱に入った後の尊氏・直義兄弟の確執の辺りなど好みなんですが、先生はどうですか?
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 鎌倉幕府滅亡、そして始まる後醍醐帝親政
> やがてくる南北朝時代の動乱が待ち遠しい・・・・・・と言ったら不謹慎でしょうか?
確かに日本史で五本の指に入る名場面ですからね(^^♪
> しばらくぶりです。ご無沙汰しておりました~
> 太平記は何度も読み返したバイブルなんです
> 個人的には南北朝争乱に入った後の尊氏・直義兄弟の確執の辺りなど好みなんですが、先生はどうですか?
南北朝は尊氏や直義が南朝や北朝に付くなど目まぐるしく変わりますから、ややこしいんですよね。その原因は建武の新政の主役二名の性格にあるのですが…。
今回は通常の更新なので深くは触れませんが、いずれは特集でやってみたいですね(^o^)丿
.はじめまして
うさねこ369 ご訪問有難うございます。
私も、先生のブログをいつも読んております。
今回の記事では、(本題とは違うところですが)、「姓」と「苗字」の違いがよくわかりました。
お忙しい中を縫っての記事の更新は、さぞや大変なのではと思いますが、これからも頑張ってくださいね。
短いコメントで恐縮ですが、これで失礼いたします。
うさねこ369さんへ
黒田裕樹 > ご訪問有難うございます。
> 私も、先生のブログをいつも読んております。
有難うございます。こちらもうさねこ369さんのブログを楽しみに拝見させていただいております。偶然ですが、誕生日が同じですね。
> 今回の記事では、(本題とは違うところですが)、「姓」と「苗字」の違いがよくわかりました。
それは良かったです。日々の更新の中では、折に触れて今回のような豆知識を紹介させていただくことで、皆様のご理解に役立てることができればと思っております。
> お忙しい中を縫っての記事の更新は、さぞや大変なのではと思いますが、これからも頑張ってくださいね。
> 短いコメントで恐縮ですが、これで失礼いたします。
励ましのお言葉、大変恐縮です。今後ともよろしくお願いいたします。
管理人のみ閲覧できます
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新田義貞公
日月引両紋 新田義貞公と言えば
犬HKの問題作⇒大河ドラマ「太平記」で
萩原健一が余りにも愚鈍な人物として扱われたためにブチ切れて降板
根津甚八と交代した事件が有名ですね。
犬HKの偏向捏造は相変わらずですが…
日月引両紋さんへ
黒田裕樹 はじめまして。お言葉有難うございます。
太平記の役者交代にはそのような真相があったのですか。
恥ずかしながら私は全く存じ上げず、病気による降板とばかり思っておりました。
司馬氏の「坂の上の雲」に関しても何かと問題があるようですし、制作者の都合で歴史的事実が改変されることを憂えております。
千早城いいですねー
あの辺から鎌倉滅亡までをじっくり講義していただきたいですニャー
こんにちは(^o^)丿
お忙しい中、ブログの更新お疲れ様です。
> 千早城いいですねー
> あの辺から鎌倉滅亡までをじっくり講義していただきたいですニャー
楠木正成はこの時代の英雄ですからね(^^♪
講談師としては腕の見せ所ですが(笑)、いずれ別の機会にでも取り上げてみたいものです。
足利幕府の将軍は尊氏から義昭まで15代、徳川幕府の将軍も家康から慶喜まで15代。そして、自民党が単独過半数で自民党総裁が首相であり続けたのも、初代総裁の鳩山一郎から15代総裁の宮澤喜一まで(その後は連立)。
偶然の一致としか説明のしようがありませんが、こんな偶然もあるんですね。
毎日思いますが
先生の根気のよい ご研究です
これだけの事 書かれるための準備
アップご努力 感服するのみです
足利高氏は、私の住んでいる県にも縁の深い人物ですが、生誕の地という説があるのですが、他にも同じように高氏の生誕の地はここだと名乗りを挙げている場所もありますよね。
どうして、色々な場所に分散されてしまっているんでしょうか。
はるか昔の縄文や、弥生の時代ならまだしも、室町時代くらいになると
文献なども揃っている様に思うのですが。。
応援凸
> 足利幕府の将軍は尊氏から義昭まで15代、徳川幕府の将軍も家康から慶喜まで15代。そして、自民党が単独過半数で自民党総裁が首相であり続けたのも、初代総裁の鳩山一郎から15代総裁の宮澤喜一まで(その後は連立)。
> 偶然の一致としか説明のしようがありませんが、こんな偶然もあるんですね。
お言葉をいただくまで私も気がつきませんでした。
15代前後がひとつの節目なのでしょうか。
そう思えば125代も続く皇室の血統は物凄く貴重ですね。
仰るとおりです。昔は「姓」と「苗字」がはっきりと区別されていたんですね。
ちなみに豊臣秀吉の「豊臣」も天皇から与えられた「姓」なので、正しくは「とよとみのひでよし」と呼ぶべきなんです。もはや「とよとみひでよし」が一般化してしまっているのでどうしようもないのかもしれませんが…。
> 毎日思いますが
> 先生の根気のよい ご研究です
> これだけの事 書かれるための準備
> アップご努力 感服するのみです
お言葉有難うございます。
確かに根気が必要ではありますが、一番の支えは、皆様の温かいご支援です。
今後ともよろしくお願いいたします。
> どうして、色々な場所に分散されてしまっているんでしょうか。
> はるか昔の縄文や、弥生の時代ならまだしも、室町時代くらいになると
> 文献なども揃っている様に思うのですが。。
文献は確かにあるのですが、いわゆる「後付け」で書かれるなど信憑性(しんぴょうせい)が疑わしいものも多いですからね。
歴史の真実を見極める作業もなかなか大変です。
やがてくる南北朝時代の動乱が待ち遠しい・・・・・・と言ったら不謹慎でしょうか?
しばらくぶりです。ご無沙汰しておりました~
太平記は何度も読み返したバイブルなんです
個人的には南北朝争乱に入った後の尊氏・直義兄弟の確執の辺りなど好みなんですが、先生はどうですか?
> やがてくる南北朝時代の動乱が待ち遠しい・・・・・・と言ったら不謹慎でしょうか?
確かに日本史で五本の指に入る名場面ですからね(^^♪
> しばらくぶりです。ご無沙汰しておりました~
> 太平記は何度も読み返したバイブルなんです
> 個人的には南北朝争乱に入った後の尊氏・直義兄弟の確執の辺りなど好みなんですが、先生はどうですか?
南北朝は尊氏や直義が南朝や北朝に付くなど目まぐるしく変わりますから、ややこしいんですよね。その原因は建武の新政の主役二名の性格にあるのですが…。
今回は通常の更新なので深くは触れませんが、いずれは特集でやってみたいですね(^o^)丿
私も、先生のブログをいつも読んております。
今回の記事では、(本題とは違うところですが)、「姓」と「苗字」の違いがよくわかりました。
お忙しい中を縫っての記事の更新は、さぞや大変なのではと思いますが、これからも頑張ってくださいね。
短いコメントで恐縮ですが、これで失礼いたします。
> 私も、先生のブログをいつも読んております。
有難うございます。こちらもうさねこ369さんのブログを楽しみに拝見させていただいております。偶然ですが、誕生日が同じですね。
> 今回の記事では、(本題とは違うところですが)、「姓」と「苗字」の違いがよくわかりました。
それは良かったです。日々の更新の中では、折に触れて今回のような豆知識を紹介させていただくことで、皆様のご理解に役立てることができればと思っております。
> お忙しい中を縫っての記事の更新は、さぞや大変なのではと思いますが、これからも頑張ってくださいね。
> 短いコメントで恐縮ですが、これで失礼いたします。
励ましのお言葉、大変恐縮です。今後ともよろしくお願いいたします。
犬HKの問題作⇒大河ドラマ「太平記」で
萩原健一が余りにも愚鈍な人物として扱われたためにブチ切れて降板
根津甚八と交代した事件が有名ですね。
犬HKの偏向捏造は相変わらずですが…
太平記の役者交代にはそのような真相があったのですか。
恥ずかしながら私は全く存じ上げず、病気による降板とばかり思っておりました。
司馬氏の「坂の上の雲」に関しても何かと問題があるようですし、制作者の都合で歴史的事実が改変されることを憂えております。