後醍醐天皇の子である護良親王(もりよししんのう、または「もりながしんのう」)は父の意志を継ぐべく諸国に兵を募(つの)って幕府に抵抗し続けたほか、幕府に対抗する武士団という意味の悪党(あくとう)の一人であった楠木正成(くすのきまさしげ)は、河内国(かわちのくに、現在の大阪府東南部)の赤阪城(あかさかじょう)や千早城(ちはやじょう)に立てこもって幕府の大軍と戦いました。
特に、わずかな兵で幕府軍を翻弄(ほんろう、思うままにもてあそんで手玉にとること)し続けた楠木正成の貢献度は絶大でした。鎌倉幕府は武家政権ですから、大軍で攻め込みながら、少数の兵士しか率(ひき)いていない正成の軍勢にいつまで経っても勝てないということは、それだけ幕府の威信(いしん)に傷がつくのです。事実、正成がしぶとく戦っている間に、各地で討幕の軍勢が次第に集まってきました。
この情勢をみられた後醍醐天皇は、1333年に隠岐を脱出されて、伯耆国(ほうきのくに、現在の鳥取県西部)の名和長年(なわながとし)を頼って挙兵されました。この事態を重く見た幕府は、北条氏と姻戚関係(いんせきかんけい、婚姻によってできた血のつながりのない親戚=しんせきのこと)にあった有力御家人を現地へ派遣(はけん)しました。彼の名を足利高氏(あしかがたかうじ)といいます。




いつも有難うございます。
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JJSG こんにちは。
「足利たかうじ」って、「高氏」って漢字でしたっけ???
「尊氏」だったような。。。
別人かなぁ。。。
失礼しましたぁ。
.黒田先生
りら 先日の私の質問に
丁寧に答えて下さり
ありがとうございます
後醍醐天皇の名前はあまりにも
有名です
興味深く 読ませて頂きました
ありがとうございます
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 「足利たかうじ」って、「高氏」って漢字でしたっけ???
> 「尊氏」だったような。。。
> 別人かなぁ。。。
> 失礼しましたぁ。
「足利尊氏」と「足利尊氏」は同一人物ですよ。
それがなぜ名前が変わったかというと…ちゃんと理由があります。
いずれ講座の中で紹介しますね(^^♪
りらさんへ
黒田裕樹 > 先日の私の質問に
> 丁寧に答えて下さり
> ありがとうございます
> 後醍醐天皇の名前はあまりにも
> 有名です
> 興味深く 読ませて頂きました
> ありがとうございます
いえいえ、また何でもご質問下さい。
後醍醐天皇は歴代天皇の中でも極めて個性的な人物ですね。
それゆえに討幕も可能となったのですが、その一方で…あとは講座の中でご紹介します。
.
ぴーち こんばんは!
私も前の方と重複してしまいますが、
足利高氏というもう一方
有名な方がいらっしゃったのは、驚きです!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 足利高氏と足利尊氏は同じ人物です。
名前が異なるのは、幕府を倒すまでは「高氏」と名乗っていたのが、後に改名するからなんですよ。
なぜ改名するのかというと…後醍醐天皇に関係があるんですけど、詳しくは後日紹介しますね。
後醍醐天皇の執念
オバrev それにしても一度ならず二度も失敗しながら三度目の正直に挑戦するとは、後醍醐天皇の執念は凄いですね。
宿命なのか、よほどの思いがあったのか、大きな改革を実現する人はこのくらいでないといけないのかもしれませんね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > それにしても一度ならず二度も失敗しながら三度目の正直に挑戦するとは、後醍醐天皇の執念は凄いですね。
> 宿命なのか、よほどの思いがあったのか、大きな改革を実現する人はこのくらいでないといけないのかもしれませんね。
確かに物凄い執念です。その理由はいずれ後述しますが、やはり思想面の影響が大きいと思います。
後醍醐天皇はたしかに大きな改革を実現されました。しかし、その成果は…これもまたいずれ紹介します。
「足利たかうじ」って、「高氏」って漢字でしたっけ???
「尊氏」だったような。。。
別人かなぁ。。。
失礼しましたぁ。
丁寧に答えて下さり
ありがとうございます
後醍醐天皇の名前はあまりにも
有名です
興味深く 読ませて頂きました
ありがとうございます
> 「尊氏」だったような。。。
> 別人かなぁ。。。
> 失礼しましたぁ。
「足利尊氏」と「足利尊氏」は同一人物ですよ。
それがなぜ名前が変わったかというと…ちゃんと理由があります。
いずれ講座の中で紹介しますね(^^♪
> 丁寧に答えて下さり
> ありがとうございます
> 後醍醐天皇の名前はあまりにも
> 有名です
> 興味深く 読ませて頂きました
> ありがとうございます
いえいえ、また何でもご質問下さい。
後醍醐天皇は歴代天皇の中でも極めて個性的な人物ですね。
それゆえに討幕も可能となったのですが、その一方で…あとは講座の中でご紹介します。
私も前の方と重複してしまいますが、
足利高氏というもう一方
有名な方がいらっしゃったのは、驚きです!
応援凸
名前が異なるのは、幕府を倒すまでは「高氏」と名乗っていたのが、後に改名するからなんですよ。
なぜ改名するのかというと…後醍醐天皇に関係があるんですけど、詳しくは後日紹介しますね。
宿命なのか、よほどの思いがあったのか、大きな改革を実現する人はこのくらいでないといけないのかもしれませんね。
> 宿命なのか、よほどの思いがあったのか、大きな改革を実現する人はこのくらいでないといけないのかもしれませんね。
確かに物凄い執念です。その理由はいずれ後述しますが、やはり思想面の影響が大きいと思います。
後醍醐天皇はたしかに大きな改革を実現されました。しかし、その成果は…これもまたいずれ紹介します。