しかし、敗北した国民政府軍の一部兵士が軍服を脱ぎ捨てて、便衣隊(べんいたい)として一般市民に紛(まぎ)れてゲリラ的活動を繰り返したために、南京攻略後も日本軍は便衣隊に対して徹底的な掃討戦(そうとうせん)を行い、その後ようやく17日になって南京への入城式を行ったのです。
南京攻略後、暴行や略奪を繰り返していた国民政府軍がいなくなったことで、南京城内に設けられていた安全地帯の市民は入城した日本軍を歓迎しました。また、南京には日本人のほか多くの外国人ジャーナリストが残っており、当時の南京の様子を世界中に打電しましたが、その内容には特に大きな問題もありませんでした。
ところが、現代の中華人民共和国や我が国を中心として、南京攻略の際に数十万人もの人々が無惨にも殺されたという、いわゆる「南京大虐殺」があった、ということにされてしまっているのです。なぜこんなことになっているのでしょうか。
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