戦闘状態が長くなればなるほど、たとえ守り切ったとしても、周囲は火の海あるいは瓦礫(がれき)の山となって都市機能が完全に麻痺(まひ)しますし、流れ弾に当たるなど、一般市民も犠牲になりやすくなります。そんな大きな被害を受けるくらいならば、いっそのことあっさりと敵に開放して、後日に奪還すべく力を蓄えて捲土重来(けんどちょうらい)を期した方がはるかに得策というものではないでしょうか。
実際、この後勃発(ぼっぱつ)した第二次世界大戦においても、フランスの首都であるパリにドイツ軍が迫った際に、フランスの指導者がパリを「オープン・シティ」にすることによって破壊を免れていますし、我が国でも、戊辰(ぼしん)戦争の際に旧幕臣の勝海舟(かつかいしゅう)が江戸城を無傷で明け渡すことによって、その後の江戸改め東京に首都としての機能を持たせることに成功しています。
では、南京攻略が目の前に迫った際に、蒋介石は何をしたのでしょうか。実は、彼は日本軍による降伏勧告に応じるどころか、20万人近くの南京市民を置き去りにしたまま、夜陰に乗じて南京を脱出してしまったのです。
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