しかし、国際連盟のブリュッセル会議では対日制裁は行われず、蒋介石の思惑は外れました。また、和平工作が行われていた間に日本軍が杭州湾(こうしゅうわん)に奇襲上陸して国民政府軍が攻撃されるなど、膠着状態が続いていた戦線が一気に動き出しました。
事態の悪化を悟った蒋介石は、12月に入ってトラウトマン和平工作を受けいれる姿勢を見せましたが、詳しい回答を保留したまま本格的な交渉に応じようとしませんでした。
国家の最高責任者と思えないような遅々とした行動を蒋介石が繰り返している間に、上海の鎮圧に成功した我が国は、国民政府の首都であった南京(ナンキン)を攻略する決断を下したのです。
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