一方、不拡大方針を放棄したとはいえ、可能な限り早期の停戦を模索(もさく)していた日本政府と軍部の首脳は、中立的な第三国の仲介を通じての和平をめざしました。
和平の仲介を最終的にドイツに依頼することにした日本政府は、同年11月2日に和平条件を駐日ドイツ大使に通知しましたが、その内容はかつての船津和平工作と同様に寛大なものでした。
我が国からの和平条件が妥当(だとう)なものであると判断したドイツ政府は、同月15日にトラウトマン駐華大使を通じて蒋介石に日本側の和平条件を通知しました。これら一連の和平への動きを「第一次トラウトマン和平工作」といいます。
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