事件に対し、チャイナは大山中尉が中国兵を殺害したのが原因であると主張しましたが、その証拠となった中国兵の死体が事件発生当初には存在せずに後から置かれたことや、殺された中国兵が小銃で後ろから撃たれたのに対し、大山中尉はピストルしか持っていなかったうえに袋の中に入れたままであった(つまり、大山中尉は小銃を発砲していない)ことが判明し、チャイナの主張が出鱈目(でたらめ)であることが分かりました。
この事件により、同日に始まった船津和平工作が中止となってしまったうえに、わずか数日後には上海全体を巻き込んださらなる一大事変が発生してしまうのです。
なお、大山事件に関しては、国民党に潜(ひそ)んでいた中国共産党のスパイが蒋介石(しょうかいせき)に日本への攻撃を迫る目的で仕組んだものであることが後に明らかとなっており、彼の狙(ねら)いどおりに和平交渉が消滅したことになります。
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