和平工作において、我が国は元上海(シャンハイ)総領事で国民党の信頼が厚かった船津振一郎(ふなつしんいちろう)を担当者としたため、この和平の交渉は「船津和平工作」と呼ばれています。
船津和平工作において我が国は、日中軍事停戦協定(別名を塘沽[=タンクー]停戦協定)など華北に対する従来の軍事協定をすべて解消する代わりに、国民政府が満州国(まんしゅうこく)を黙認するほか反日運動を取り締まるという、極めて寛大な条件を示しました。
ところが、船津和平工作をめぐって最初の話し合いが行われた日に、またしても日本人が無惨にも殺害されるという事件が起こってしまったのです。
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