このような複雑な事情が存在していたこともあったからか、盧溝橋事件後の昭和12(1937)年7月に関東軍の爆撃機が国民政府軍の兵営を空爆した際に、間違って冀東(きとう)防共自治政府の保安部隊を攻撃してしまい、数人の保安部隊員が犠牲となりました。
事故発生後、関東軍は直ちに責任者が自治政府の高官を訪問して謝罪し、保安隊にも訪問して事情を説明したほか、遺族のもとにも足を運ぶなど適切な事後処理を行ったため、この事故は一応の解決を見ましたが、その直後の通州で、常識では考えられないような虐殺(ぎゃくさつ)事件が起きてしまいました。
昭和12(1937)年7月29日、通州にいた日本軍守備隊や日本人居留民の二百数十名が冀東(きとう)防共自治政府の保安部隊によって虐殺されるという事件が発生しました。これを「通州事件」といいます。
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