実際に盧溝橋における国民政府軍に共産党のスパイが紛(まぎ)れ込んでいて、彼らが日本軍に向けて発砲したことが中国側の資料から明らかになっていますし、また日本軍側でも盧溝橋事件の直後に中国共産党司令部に向けて「成功せり」という緊急電報が打たれたのを傍受(ぼうじゅ)したという証言が出されています。
なお、第二次世界大戦後に開かれた極東国際軍事裁判では盧溝橋事件の審査も進められましたが、なぜか途中で中止されています。おそらくは中国共産党の陰謀と分かったことで、裁判の進行に都合が悪いと判断されたと考えられています。
また、盧溝橋事件の真相が明らかになるにつれて、最近では「そもそもそんなところに日本軍がいたから悪いのだ」という意見のすり替えが平然と行われているようですが、日本軍が北京郊外の盧溝橋付近に駐留していたのは、先述のとおり北清事変後の北京議定書によって認められていたからであり、日米安全保障条約によって現在の我が国にアメリカ軍が駐留しているのと同じ理屈です。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。