昭和12(1937)年7月7日午後10時40分頃、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)付近に駐屯していた日本軍が演習を終えた時、何者かが軍に向けて発砲しました。日本軍の周囲には国民政府軍が駐屯していたので、彼らの仕業ではないかと思った日本軍は軍使を派遣しました。
ところが、翌8日の深夜3時25分頃に再び日本軍に向けた発砲事件が起きたため、さすがにこの時は日本軍も戦闘態勢に入りましたが、事件の拡大を恐れて直前で攻撃を中止しました。すると、今度は日本軍が攻撃してこないと高(たか)をくくったのか、明け方の5時30分頃に国民政府軍が本格的な銃撃を浴びせてきたため、ついに日本軍も反撃を開始しましたが、最初の発砲からすでに約7時間も経過していました。
以上が「盧溝橋事件」の真相です。
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