張学良がなぜ中国共産党に寝返ったのかは諸説ありますが、いずれにせよ西安事件によって、蒋介石は共産党との内戦を中止して抗日へと方針を転換することになりました。なお、1937(昭和12)年9月に国民政府は正式に中国共産党との内戦停止と抗日民族統一戦線の形成に踏み切りましたが、これらの動きは今日では「第二次国共合作」といわれています。
西安事件をきっかけとして、中国大陸では国民党と共産党との内戦が中止され、彼らが一緒になって我が国に牙(きば)をむくようになるのですが、当時の日本政府がどこまで事態の深刻さを理解していたかは分かりません。
ただ、我が国で共産主義に共鳴し、ソ連のスパイであった尾崎秀実(おざきほつみ)をブレーンとした第一次近衛文麿内閣が誕生した直後に、まるでそれを待っていたかのように「ある出来事」が起きてしまったという、偶然とは思えない歴史的事実があったことだけは間違いありません。
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