また、関白九条兼実の弟で天台座主(てんだいざす、延暦寺の最高位の僧職のこと)の慈円(じえん)は、承久の乱(承久の変)の直前までの道理による独自の歴史論を展開した「愚管抄(ぐかんしょう)」を著しました。
一方、武士の間でも承久の乱後に学問を好む風潮が高まったことで、北条泰時の甥(おい)にあたる北条実時(ほうじょうさねとき)が、鎌倉の港であった金沢(かなざわ)の地に私設の図書館となる「金沢文庫(かなざわぶんこ)」を建て、和漢の優れた書を集めて学問に励みました。また、鎌倉時代中期までには幕府の歴史を編年体でつづった「吾妻鏡(あづまかがみ)」も成立しています。
なお、鎌倉時代の末期には宋の朱熹(しゅき)によって広まった儒学(じゅがく)の一つである「宋学(そうがく、別名を朱子学=しゅしがく)」が伝わりました。宋学における臣下として守るべき道義や節度などのあり方を示した大義名分論(たいぎめいぶんろん)は後世に大きな影響を与え、当時の討幕運動に対する思想的な支柱となりました。
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