また、同じ頃に法相宗(ほっそうしゅう)の貞慶(じょうけい、別名を解脱=げだつ)も山城(やましろ、現在の京都府南部)の笠置寺(かさぎでら)にこもって厳しい修行を続け、明恵とともに南都仏教の復興に力を注ぎました。
その後、律宗では俊芿(しゅんじょう)が宋に渡って戒律を学び、京都の泉涌寺(せんにゅうじ)を復興して新たに天台・真言・禅・律の諸宗兼学(けんがく)道場とすると、後鳥羽(ごとば)上皇をはじめ天皇や公家あるいは武家など多くの信者を得ました。
この他、奈良の西大寺(さいだいじ)を復興した律宗(りっしゅう)の叡尊(えいぞん、別名を思円=しえん)やその弟子の忍性(にんしょう、別名を良観=りょうかん)らは、戒律を重んじるとともに貧しい人々や病気を救済して治療したほか、土木工事などの社会福祉事業に力を尽くしました。
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