先述したように禅宗が武士の気風に合ったこともあって臨済宗は幕府の保護を受け、後には京都に大本山(だいほんざん)となる建仁寺(けんにんじ)を建立しました。臨済宗では、座禅に打ち込みながら師から示される公案(こうあん、設問のこと)を解くために懸命に努力するなかで悟りを開くという「公案問答(こうあんもんどう)」を説きました。
栄西が亡くなった後も臨済宗は幕府の保護を受け、南宋から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)や無学祖元(むがくそげん)が招かれました。蘭渓道隆は5代執権の北条時頼に招かれて鎌倉の建長寺(けんちょうじ)の開山(かいざん、ここでは初代住職という意味)となり、無学祖元は8代執権の北条時宗に招かれて、同じく鎌倉の円覚寺(えんがくじ)の開山となりました。
栄西が残した著書は「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」の他に「喫茶養生記(きっさようじょうき)」も有名です。実は、現在のようなお茶を飲む習慣を広めたのは栄西であるといわれており、喫茶養生記のなかで茶の薬効(やっこう)などが紹介されています。なお、喫茶養生記は3代将軍の源実朝(みなとものさねとも)が二日酔いで苦しんでいる際に、一杯の茶とともに献上されたものです。
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