これらの現象が、平安中期より広まり始めた「末法(まっぽう)思想」そのものであると人々に強く信じられたことで、救いを求める人々の期待に応えるかのように新しい仏教が鎌倉時代に相次いで生まれ、広く信仰を集めました。
いわゆる「鎌倉仏教」とも呼ばれる新しい仏教は、それまでの加持祈祷(かじきとう)や学問とは異なり、内面的なものを重視しながら武士や庶民(しょみん)などの幅広い階層を中心に広まったのが大きな特徴でもありました。
美作(みまさか、現在の岡山県北東部)の武士の家に生まれた法然(ほうねん)は、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)で天台宗(てんだいしゅう)を学んだ後に下山(げざん)すると、一心に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を唱えれば誰でも極楽往生(ごくらくおうじょう)への道が開かれるとする「専修(せんじゅ)念仏」の教えを説(と)きました。いわゆる「浄土宗(じょうどしゅう)」のことです。
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