事故の翌年である明治24(1891)年には、大島村と和歌山県知事によって最初の墓碑(ぼひ)が建てられ、昭和4(1929)年には山田寅次郎が設立した日土貿易協会によって追悼碑(ついとうひ)が建立(こんりゅう)されると、和歌山を行幸(ぎょうこう、天皇の外出のこと)された昭和天皇(しょうわてんのう)が墓碑に手を合わせられました。
天皇陛下が行幸されたことを伝え聞いたトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクは、エルトゥールル号の墓地の大改修とトルコ式の慰霊碑(いれいひ)の建立を決断し、昭和12(1937)年に完成しました。慰霊碑は昭和天皇が行幸された同じ6月3日に除幕され、50周年の追悼祭も2年繰り上げて合わせて行われました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
やはり日本国の天皇の地位と言うのは(一般的な言い方で失礼します
)世界的にもトップかそれに等しい位だと伺った事がありますが、(ローマ法王と同等?)
その天皇が直々に行幸され、墓碑に手を合わせられたという事事態も
トルコにとっては只事では無い事だったのでしょうね。
凸
黒田先生.
りら 皇室外交は日本人が思うより
遥かに外国との親睦に繋がって
行くように現代でも思われます
先生はどう思われますか
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > やはり日本国の天皇の地位と言うのは(一般的な言い方で失礼します
> )世界的にもトップかそれに等しい位だと伺った事がありますが、(ローマ法王と同等?)
> その天皇が直々に行幸され、墓碑に手を合わせられたという事態も
> トルコにとっては只事では無い事だったのでしょうね。
お言葉、まさしくそのとおりです。
天皇陛下が全世界のトップであるローマ法王と肩を並べる地位として君臨されておられるのは、実は物凄いことなんですよ。我々日本人が誇るべき皇統であり、気づかないのはその日本人だけです。
それだけに、昭和天皇が墓碑に手を合わせられたという事実は、トルコにとっては衝撃的であるとともにどれだけ有難かったことでしょうか。この重みは外国人でないと分からないのかもしれません。
りらさんへ
黒田裕樹 > 皇室外交は日本人が思うより
> 遥かに外国との親睦に繋がって
> 行くように現代でも思われます
> 先生はどう思われますか
仰るとおりです。世界的な権威のトップとして君臨される天皇陛下の外交は、ともすれば腹の探り合いに終始しそうな一般人とは異なり、我が国の真意と誠意を諸外国に明らかにすると同時に、親睦を深めるのにまたとない機会でもあります。
失礼な物言いながら、その価値はまさにプライスレス。皇室の偉大さに気づかないのは日本人だけというのが皮肉でもありますね。
やはり日本国の天皇の地位と言うのは(一般的な言い方で失礼します
)世界的にもトップかそれに等しい位だと伺った事がありますが、(ローマ法王と同等?)
その天皇が直々に行幸され、墓碑に手を合わせられたという事事態も
トルコにとっては只事では無い事だったのでしょうね。
凸
遥かに外国との親睦に繋がって
行くように現代でも思われます
先生はどう思われますか
> )世界的にもトップかそれに等しい位だと伺った事がありますが、(ローマ法王と同等?)
> その天皇が直々に行幸され、墓碑に手を合わせられたという事態も
> トルコにとっては只事では無い事だったのでしょうね。
お言葉、まさしくそのとおりです。
天皇陛下が全世界のトップであるローマ法王と肩を並べる地位として君臨されておられるのは、実は物凄いことなんですよ。我々日本人が誇るべき皇統であり、気づかないのはその日本人だけです。
それだけに、昭和天皇が墓碑に手を合わせられたという事実は、トルコにとっては衝撃的であるとともにどれだけ有難かったことでしょうか。この重みは外国人でないと分からないのかもしれません。
> 遥かに外国との親睦に繋がって
> 行くように現代でも思われます
> 先生はどう思われますか
仰るとおりです。世界的な権威のトップとして君臨される天皇陛下の外交は、ともすれば腹の探り合いに終始しそうな一般人とは異なり、我が国の真意と誠意を諸外国に明らかにすると同時に、親睦を深めるのにまたとない機会でもあります。
失礼な物言いながら、その価値はまさにプライスレス。皇室の偉大さに気づかないのは日本人だけというのが皮肉でもありますね。